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<title>気まぐれ　世迷言</title>
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<description>不定期になるとは思いますが書き散らします。</description>
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<title>新しい朝（あした）</title>
<description> ♪新しい朝が来た。希望の朝だよ♪ 『ラジオ体操』の歌である。はたして『希望の朝』から何年ご無沙汰しているだろうか。『朝』はただ眠く今日の『試練』に対しての不安だらけである。『五時から男』という言葉があったが『希望』はもっぱら『五時から』に託している。酒を飲む、ライブ・ハウスへ行く、映画を観る、食事をする、CDを聴く、テレビを観る・・・・これらの小さい小さい『希望』はすべて『夜』に散りばめられているので
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<![CDATA[ <br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />♪新しい朝が来た。希望の朝だよ♪ <br /><br />『ラジオ体操』の歌である。はたして『希望の朝』から何年ご無沙汰しているだろうか。『朝』はただ眠く今日の『試練』に対しての不安だらけである。『五時から男』という言葉があったが『希望』はもっぱら『五時から』に託している。酒を飲む、ライブ・ハウスへ行く、映画を観る、食事をする、CDを聴く、テレビを観る・・・・これらの小さい小さい『希望』はすべて『夜』に散りばめられているのである。そんな仄かに煌く『希望』のかけらを胸に床につき、迎えた朝は昨夜の『希望』の余韻を消し去り『現実』がのしかかって来る。そして休みの日に早起きをして何かをしようとしても寝不足による眠さがつきまとって来る。 <br />子供の頃にすでに『朝』は不安を伴っていた。大人は子供と馬鹿にするが子供は子供なりに大人と同様に否！それ以上に何かしらの不安をかかえているものである、歳をとってから考えると実に些細な『不安』ではあるが・・・。しかしながら子供の頃の休みの日の『朝』はこれといった予定がなくても何かしら名も無い『希望』に満ちていた。今日は誰と遊ぼうか、何をして遊ぼうか・・・それだけのことを考えただけで胸は躍ったものである。何せ未来はすべて白紙の状態であるから、何も大人のように『些細な希望』に日々すがらずとも『大きな希望』を描くことができた。ある意味、子供時代は『夢』と『現実』の距離が肉薄していて夢幻の境地を彷徨っていたといえるかもしれない。 <br /><br />子供の頃は早い時間に床に着かされていたいたので『夜』を知らなかった。『夜』に対して神秘的な何かを感じて恐怖しつつも憧れていた。しかしながら大人になる過程で酒の味、遊びの味を覚え、午前様、朝帰りは朝飯前となり『夜』の全貌を知り尽くしてしまった。もらったプレゼントの箱をすべて開けてしまいもう残りが無くなってしまったような気分である。 <br />この辺で一度頭をリセットして日々『希望の朝』を迎えられるような生活をめざしたいと思う。そうすれば何処かにまだ箱を開けていないプレゼントを見つけることができるかも知れない・・・。<br /><br /> <br /><br /> <br /><br /> <br /><br /> <br /><br /> <br /><br /> <br /><br /> <br /><br /> <br /><br /> <br /><br /> <br /><br /> <br /><br /> <br /><br /> <br /><br /> <br /><br /> Eva Cassidy <br /><br /><br />彼女はこの動画のライブ音源から自主制作で自分のアルバムを作り、半年後に癌告知されその数ヶ月後に33歳で亡くなっております。小さなホクロから始まった皮膚癌だったそうです。 <br /><br />結局メジャー・デビューは生前にはできなかったようです。二枚ほど他にアルバムがあるようですけどそれも彼女の両親が彼女の想い出のために作ったアルバムだというような話を聞いております。 <br /><br />主にアコギ、エレキを持っての弾き語りですが、ジャズっぽい歌い方だなと思います。選曲は完全にジャンルレスですね・・・ジャンルレスというのは音楽を貪欲にやる上ではある種必然の帰結とも思えますけど・・・かつて各種音楽が若かりし日はみなそうだったはずですけど・・・。 <br /><br />この動画のおしまいの消えて行く彼女の残像がなんとも切ないです。<br /><br /> <br /><br /><object width="540" height="437"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/lWJ3GCWTqqs&hl=en&fs=1"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/lWJ3GCWTqqs&hl=en&fs=1" type="application/x-shockwave-flash" allowfullscreen="true" width="540" height="437"></embed></object><br /> ]]>
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<dc:creator>ろんさむ</dc:creator>
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<title>読書</title>
<description> 就職したばかりの頃、読書の時間も減るだろうと思い、かなりむきになって読書をしたものであった。常に10冊近くの本を持ち歩き寸暇を惜しみ少しでも時間があけば本を取り出したものだ。待ち合わせに早くついてしまったとき、バスの待ち時間、トイレ、そして食事の時間も。 しかしながら最近は本当に読書量が減ってしまった。集中力の低下もあるのだろうが、インターネットとのつきあいを始めたのもその一因といえるかもしれない。
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<![CDATA[ <br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />就職したばかりの頃、読書の時間も減るだろうと思い、かなりむきになって読書をしたものであった。常に10冊近くの本を持ち歩き寸暇を惜しみ少しでも時間があけば本を取り出したものだ。待ち合わせに早くついてしまったとき、バスの待ち時間、トイレ、そして食事の時間も。 <br /><br />しかしながら最近は本当に読書量が減ってしまった。集中力の低下もあるのだろうが、インターネットとのつきあいを始めたのもその一因といえるかもしれない。このインターネットというのは便利なもので何でも調べられるのだ。まさにあらゆる分野に対応した百科事典である。 <br /><br />しかしながらこのインターネットは苦労せずに調べることができる分、どれだけのものが自分の中に残るかははなはだ疑問である。手軽に必要な情報を調べて使い、それで自分の知識になったと思いこんでしまいがちである。それに対して活字である本は必要の情報が欲しくて読んだ本によってさらに新しい知識欲が生まれて他の本にすすみ、それによって連鎖的に知識の幅が拡がっていくように思える。いわば「寄り道」によって新たなる「宝」をみつける楽しさがあるのだ。「無駄」といってしまえばそれまでだが、人間の趣味、生きがいというものは概ね「無駄」からなりたっているともいえないだろうか。 <br /><br />かつて黒井千次氏の随筆で、活字文化とテレビ文化の情報伝達について比較しているものを読んだことがあるが、テレビを一方通行で考える時間も与えてくれないものとし、活字については、こちらにも考える余裕を与えてくれるものとしていた。このインターネット文化ははたして、どのような位置付けになるのだろうか？確かに活字ではあるし、テレビ的でもある、こちらで情報を選べるようでもあるが、実のところ有害な情報も見せられてしまうことがしばしばある。自分で情報を選べば良いのかもしれないが、あまりにも誘惑が多いのがインターネットのように思える。 <br /><br />活字についていえば場所を選ばずに即座に別世界に連れて行ってくれることが最大の利点かもしれない。バッテリー、コードに拘束されることなく、たとえ喧騒の中でも周りにバリアーのようなものを張って私の孤独を守ってくれる。 <br /><br />インターネットを楽しみつつ、そんな読書のやすらぎを愛してやまない私なのである。 <br /><br /><br /><br /><br /><br /><object width="540" height="437"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/a30Uo5sJWSQ&hl=en&fs=1"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/a30Uo5sJWSQ&hl=en&fs=1" type="application/x-shockwave-flash" allowfullscreen="true" width="540" height="437"></embed></object><br /> ]]>
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<dc:date>2009-02-26T17:21:35+09:00</dc:date>
<dc:creator>ろんさむ</dc:creator>
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<title>塗りつぶされた地図</title>
<description> 私はどうやら『地図』を書くセンスがないようである。上手い下手以前に想像力が欠如しているのかもしれない。時おり取引先の人から私の会社に到る『地図』をファックスしてくれとたのまれるが、そんな時は困ってしまったものである。今はインターネットという便利な物があるので助かっている。 当時は『健康』のためなどとは考えてはいなかったが、ジョギングを始める以前、私はよく歩いたものだった。街中を歩くこともあったが、
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<![CDATA[ <br /><br />私はどうやら『地図』を書くセンスがないようである。上手い下手以前に想像力が欠如しているのかもしれない。時おり取引先の人から私の会社に到る『地図』をファックスしてくれとたのまれるが、そんな時は困ってしまったものである。今はインターネットという便利な物があるので助かっている。 <br /><br />当時は『健康』のためなどとは考えてはいなかったが、ジョギングを始める以前、私はよく歩いたものだった。街中を歩くこともあったが、郊外の緑の中を歩くこともあった。一番よく歩いたのは鎌倉の寺巡り、花巡り、そして横浜の公園巡りだった。横浜は緑の多い広大な公園がひじょうに多い、都会の暮らしでのストレス、疲れを癒すにはもってこいの場所であった。私にとって『歩くこと』は趣味の一つといえたかもしれない。最初はまったく無計画に歩いたものだった。ともかくたどり着いた駅から気の向くままにひたすら歩いた。『目的地』があるわけでもなく、歩いている『過程』がいわば『目的地』であった。人からはけして『目的地』とはされない道端の景色に私は一番癒されたものだった、たとえそれが郊外の緑の中であっても、車が素通りする街中であっても・・・。このように『無計画』な『歩き』だけに地図を持って歩くということはあまりなかった。むしろ歩き終えて家に帰って確認の意味で地図を眺めることが多かった。『あの道をそのまま進んでいたらあそこにたどり着けたのか』とか、『あの路地に入ればおいしいコーヒーが飲めたのか』とか、反省するわけではないが、その日一日の『歩き』を反芻したものだった。そして『地図』を塗りつぶすかのようにその土地を再び訪れて今度はわざと違う道を歩いたりしたものである。 <br /><br />未知の土地の地図を眺めていると記号が溢れていることもあるが、ひじょうにとっつきにくい『無機的』な印象を受ける、しかしながら一度でも赴いたことのある土地の場合は開いた途端にその『地図』は生命を帯びて見る者を受け入れてくれる、そしてイマジネーションは映像となってどんどん広がっていく・・・。 <br />『地図』という物は『無機的な道具』として使われ、それで終わってしまうことが多いが、『思い出』という物が加味されれば『地図』は生命を帯び、一冊の自分だけの立派な『本』となる。このような極端な変化が私はおもしろくて仕方ないのである。日本全国、否！全世界の『地図』をすべて自分だけの立派な『本』にできたらいいなと思うのであるが、それは物理的に不可能なことであろう。とりあえず手元にある神奈川の地図を立派な『本』にして行こうともくろんでいる。 <br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><object width="540" height="437"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/9qXvVxXPomQ&hl=en&fs=1"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/9qXvVxXPomQ&hl=en&fs=1" type="application/x-shockwave-flash" allowfullscreen="true" width="540" height="437"></embed></object><br /> ]]>
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<dc:date>2009-02-25T09:50:45+09:00</dc:date>
<dc:creator>ろんさむ</dc:creator>
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<title>酔醒</title>
<description> 『酔醒』 頬を伝う涙の温かさで目覚める… いい歳をしてと苦笑した 不思議なものだ… いくつになっても夢には疑うことなく 涙することができる
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<![CDATA[ 『酔醒』 <br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />頬を伝う涙の温かさで目覚める… <br /><br />いい歳をしてと苦笑した <br /><br /><br /><br />不思議なものだ… <br /><br />いくつになっても夢には疑うことなく <br /><br />涙することができる <br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><object width="540" height="437"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/-9khjxCn0KA&hl=en&fs=1"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/-9khjxCn0KA&hl=en&fs=1" type="application/x-shockwave-flash" allowfullscreen="true" width="540" height="437"></embed></object><br /> ]]>
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<dc:date>2009-02-06T10:52:22+09:00</dc:date>
<dc:creator>ろんさむ</dc:creator>
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<title>残照・・・鎌倉の海の色</title>
<description> 半年しかいなかった店だが強く心に残る店だった。店長がとんでもない人だったがゆえに他の従業員一同が妙に結束していたように思える。そんな店長も店長で後姿が妙に寂しげな人だった・・・。一人ユニークなパートさんがいた。顔は強面（？）で笑顔を見せることはまったくといっていい程なかったが真面目な顔をしておチャメをする人だった。私は初めて彼女と顔を合わせたときに手ごわそうなパートさんだな・・・と思ったが一番早く
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<![CDATA[ 半年しかいなかった店だが強く心に残る店だった。店長がとんでもない人だったがゆえに他の従業員一同が妙に結束していたように思える。そんな店長も店長で後姿が妙に寂しげな人だった・・・。<br /><br />一人ユニークなパートさんがいた。顔は強面（？）で笑顔を見せることはまったくといっていい程なかったが真面目な顔をしておチャメをする人だった。私は初めて彼女と顔を合わせたときに手ごわそうなパートさんだな・・・と思ったが一番早く打ち解けたのは彼女であった。後に私が本社に異動したときに店に忘れて来たエプロンを店や本社を循環する『業務便』に乗せて送りつけてくれた。本来ならば捨ててしまってもいいような汚れたエプロンで、しかも本社勤務では不用な物だったので同僚、上司に笑われてしまった。しかしながらポケットの中を探ると封筒が入っていて定休日に行ったレクリエーションの時の写真と『慣れない仕事でしょうけどがんばって下さい』と書かれた手紙に皆の寄せ書きがしてあった。件のパートさんの発案だったらしいがジーンと来てしまった。<br /><br />私の本社への異動が発表になった頃、そのパートさんが川崎にある寺について訊いて来た。彼女は店のそばの横浜在住の人だったが数年前に亡くなった旦那さんの法事を川崎の寺で行っているらしい。ホテルや飲み屋の集まる繁華街の中に冗談のように存在している寺であった。私はよく知っていたので会話は成立した。話しているうちにパートさんはポツリと旦那さんとの想い出を語ってくれた。ガンを告知された旦那さんと二人で鎌倉を歩き廻り『江ノ電』に乗って『鎌倉高校前駅』に降り立ち、プラットホームのベンチに腰掛けて時を忘れて二人何も語らずに前に広がる海と夕陽をずっと眺めていたそうだ・・・。そして彼女は呟いた・・・この世のものとは思えないほど綺麗な夕陽であったと・・・。<br /><br />話しを聴いて情景が鮮やかに浮かんで来た。夕陽の逆光の中で肩寄せ合い寄り添う二人の影・・・。『鎌倉の海』は何世代にも渡って『若者』の『海』であり続けている。そのパートさんにとってその時の『海』は年齢とは関係なく永遠に『青春』の『海』として強く心に焼き付けられているに違いないと思う・・・。<br />メディアは『鎌倉の海』をドラマにしたり映画にしたり歌にしたり・・・やや『安売り』している帰来が感じられるが、本当のドラマはメディアが流すものではなく、俳優が演じるものでもなく、それぞれの人の生の中に存在しているものだと思う。<br /><br />『海』に沈んで行った夕陽を取り戻すことができないことが人間の哀しみであり、切なさであり、儚さであり、作られた物ではない美しさでもある。<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><object width="540" height="437"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/DCnUsInBQws&hl=en&fs=1"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/DCnUsInBQws&hl=en&fs=1" type="application/x-shockwave-flash" allowfullscreen="true" width="540" height="437"></embed></object><br /> ]]>
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<dc:date>2009-02-05T10:13:54+09:00</dc:date>
<dc:creator>ろんさむ</dc:creator>
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<title>横濱そぞろ歩き　⑥　（横浜ステーション）</title>
<description> 『横濱そぞろ歩き　⑥』　（横浜ステーション） すべてが動いている 電車・・・ 物・・・ 人・・・ 立ち止まることなく 流れて行く 流されて行く ホームに立つ人さえ すでに心は電車に飛び乗って そこにはいない 一人一人が波をつくり 自ら流れて行く 一人一人の心が 一つの巨大な波に呑み込まれ 意志とはかかわりなく 流されて行く ただ通り過ぎるためだけの建築物 留まることを許さない それが駅 駅自体も立ち止まることはない 二
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<![CDATA[ 『横濱そぞろ歩き　⑥』　（横浜ステーション） <br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />すべてが動いている <br /><br />電車・・・ <br /><br />物・・・ <br /><br />人・・・ <br /><br />立ち止まることなく <br /><br />流れて行く <br /><br />流されて行く <br /><br /><br /><br /><br />ホームに立つ人さえ <br /><br />すでに心は電車に飛び乗って <br /><br />そこにはいない <br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />一人一人が波をつくり <br /><br />自ら流れて行く <br /><br /><br />一人一人の心が <br /><br />一つの巨大な波に呑み込まれ <br /><br />意志とはかかわりなく <br /><br />流されて行く <br /><br /><br /><br /><br /><br />ただ通り過ぎるためだけの建築物 <br /><br />留まることを許さない <br /><br />それが駅 <br /><br /><br /><br /><br /><br />駅自体も立ち止まることはない <br /><br />二十年以上あちらこちらで改装工事が続けられている <br /><br /><br />完成することなき変容の中で <br /><br />駅は日々人を飲込み <br /><br />吐き出している <br /><br /><br /><br /><br /><br />寄せては <br /><br />返す波の群れ <br /><br /><br /><br />もしも凪ぐことがあったのならば <br /><br />生命を持った <br /><br />一つの建築物として <br /><br />この駅を <br /><br />じっくり眺めてみたいものだ <br /><br /><br /><br />生命はやはり <br /><br />在不在にかかわらず <br /><br />人が創り出すもの・・・ <br /><br /><br /><br /><br /><br />延々と通り過ぎて行く <br /><br />時間と流れ・・・ <br /><br /><br />その上に <br /><br /><br /><br /><br />横浜駅は <br /><br />橋のように <br /><br />跨っている <br /><br /><br /><br /><br />死んだ <br /><br />廃墟の如く <br /><br />沈黙し <br /><br />ただ <br /><br />ただ <br /><br />跨っている・・・。 <br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><object width="540" height="437"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/--8-gN4BCdc&hl=en&fs=1"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/--8-gN4BCdc&hl=en&fs=1" type="application/x-shockwave-flash" allowfullscreen="true" width="540" height="437"></embed></object><br /> ]]>
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<dc:creator>ろんさむ</dc:creator>
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<title>梅のかほり</title>
<description> もう梅の季節が訪れる。私の生まれた土地は『梅』にゆかりの深い土地である。明治17年の3月19日に明治天皇が観梅のために行幸し、この一帯は「小向村」から「御幸村」と名が変わった。そしてまさに『梅』とは縁を切っても切れない土地になったようである。私の小学校の校章は『梅の花』であったし、校長先生も朝礼で毎日のごとく寒さの中で密やかにほころぶ『梅』のようになりなさいと訓示していた。体育館には大きく『梅のかおり
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<![CDATA[ もう梅の季節が訪れる。私の生まれた土地は『梅』にゆかりの深い土地である。明治17年の3月19日に明治天皇が観梅のために行幸し、この一帯は「小向村」から「御幸村」と名が変わった。そしてまさに『梅』とは縁を切っても切れない土地になったようである。私の小学校の校章は『梅の花』であったし、校長先生も朝礼で毎日のごとく寒さの中で密やかにほころぶ『梅』のようになりなさいと訓示していた。体育館には大きく『梅のかおり』と大書されて額に収まっていたし、校歌にも『梅』という言葉が散りばめられていた。感受性の強い小学生時代にこれだけ『梅』に囲まれているとやはり私にとって『梅』は特別の花とならざるをえなかった。 <br /><br />小向村は多摩川のほとりに位置していたので川の氾濫でいつもひどい損害が出ていたらしい。そこで考え出されたのは比較的水害に強い『梅』の栽培だったそうだ。梅の栽培は「寛文年間（1661～1673）から始まり江戸の他、各地に出荷されて梅林は小向村だけでも30ヘクタールに及んだそうである。そして明治16年に成島柳北が「朝野新聞」に小向村の梅林を紹介した途端に観梅客が絶えなくなったそうである。それを聞きつけた観梅好きの明治天皇が翌年に行幸して正真正銘『梅』の名所となった。時を経た明治40年に横浜の「三渓園」で有名な原三渓が「横浜貿易新報」に小向村梅林の由来を紹介した。そして彼が小向村を訪れたときに梅が老いてしまい地主が畑にしてしまうという話を聞きつけ、彼は『梅』の古木を引き取り自宅に植えた。三渓園の梅の中には小向村の梅が残されているということである。 <br /><br />今となっては私の土地では昔を見る影もない。「御幸公園」という多摩川沿いにある公園が梅林の跡ということになっているが『梅』の数は本当に少ない。これくらいの数の『梅』ならば自宅の庭に植えている人もいるであろう。しかしながらここの『梅』は観る人もなく密やかではあるが毎年「これぞ梅！」といった花を咲かせてくれている。 <br /><br />私にとって『梅』の花は少し寂しい印象がある。あまりにも学校で植え付けられたイメージが強いのでこの花を観ると「卒業式」「別れ」を連想してしまうのである。そしてあの特攻帰りの小学校の校長先生のごとく凛としたものを感じさせられる。桜の花の下、人々が酒を飲み狂うとするならば、『梅』の花の前に立つと背筋を伸ばして襟をただしたいような気持ちになるのである。『梅』の花は寒さの中でほころび『春』への突破口を開いてくれる。桜の花咲く頃になると『春』は弛緩してしまう・・・。『梅』がその「ヒント」を与えてくれる頃の『春』・・・そこには厳しさの中にも希望が見え隠れしている。 <br /><br />私はやはり『梅』から離れることはできないようである。 <br /><br /><br /><br /><br /><br /><object width="540" height="437"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/g7k0NZ4XidM&hl=en&fs=1"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/g7k0NZ4XidM&hl=en&fs=1" type="application/x-shockwave-flash" allowfullscreen="true" width="540" height="437"></embed></object><br /> ]]>
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<dc:date>2009-02-04T11:30:16+09:00</dc:date>
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<title>言の葉</title>
<description> 新聞のテレビ欄を見ていたらあるドラマの題名に目が止まった。『ジェラシー！・妻を殺しに京都に戻った夫が鎌倉で死体に！アリバイが完璧な妻と邪悪な愛人の賭け』、これは副題ではなくメインの題名らしい。私は映画を始めとして小説を読むにしてもストーリーが展開するにしたがって『題名』の意味が仄かに見えて来る、それが一つの楽しみである。そしてこの『題名』が読んだり観たりしたあともジーンと余韻を残してくれる・・・そ
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<![CDATA[ 新聞のテレビ欄を見ていたらあるドラマの題名に目が止まった。『ジェラシー！・妻を殺しに京都に戻った夫が鎌倉で死体に！アリバイが完璧な妻と邪悪な愛人の賭け』、これは副題ではなくメインの題名らしい。私は映画を始めとして小説を読むにしてもストーリーが展開するにしたがって『題名』の意味が仄かに見えて来る、それが一つの楽しみである。そしてこの『題名』が読んだり観たりしたあともジーンと余韻を残してくれる・・・そんな作品が好きである。この手のドラマの長い題名を見るにつけ『下手な鉄砲数撃ちや当たる』という言葉が思い浮かんでしまう。『題名』は作品の重要な一部であってあらすじや宣伝文句ではない。いかに素晴らしい『題名』を持ってくるかも作者の実力なのである。終戦時に日本の伝統的家屋を接収した米軍将校がその建物をペンキで塗りつぶしたという話を聞いたことがある。この米軍将校の話と同じようにペンキならぬ過剰な『言葉』で所かまわず塗りつぶしてしまうような物質万能主義的な風を昨今のメディアに感じてしまう。最近気になったのはテレビ番組がやたらテロップを多用することである。昔はテロップは外国語の通訳を表示するために使われるくらいであったが今は通訳など必要もない、特に聞きづらくもない同じ日本語に対してもデフォルメの効果を狙ってなのか濫用されている。その他にも『ＰＬ法』施行以降テレビＣＭにしろ取り扱い説明書にしろ余計なお世話としか思えないような言葉の多用が目立つ。 <br /><br />就職したての頃、要件だけを書けと叱られながら『ビジネス文書』の指導を受けた。『無駄』をはぶくという意味で作家は言葉を並べる事よりも削る事に苦心するというが『ビジネス文書』は書く者の感情を始めとする個性も当然『無駄』とされてはぶかれる。『ビジネス文書』を書くことはまるで『言霊』『魂』を売り渡してしまうかのように思え、私は読むことも書くことも好きにはなれなかった。 <br />『ビジネス文書』は要件だけを書き『無駄』をはぶけというが、そもそも大人の言葉、文章は無駄な言い分けが多いように思われる。子供ならば『好き』『嫌い』の意思表示として単刀直入に言葉を使えるが、大人になると日常生活の中で『好き』『嫌い』の意思表示に対する『言い訳』の言葉を探し出すことの方が先に来る。それが『付き合い』というものなのかもしれないが常に四苦八苦している。言うべき言葉も言わずに数多くの言い訳の言葉の中に自ら溺れてしまっているような大人は多い。 <br /><br />『言葉』は人を殺すことも出来、そして生かすことも出来る素晴らしくも恐ろしい代物である。人の心を動かすことができる大切な物であるがゆえに大切に使わねばならないのである。電光石化！一刀のもとに切り捨てるような言葉もいいが、淡白なれどいつまでも淡い余韻を残す抑制された言葉というのも良い。 <br /><br /><br /><br /><object width="540" height="437"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/PYYPZZNIOaY&hl=en&fs=1"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/PYYPZZNIOaY&hl=en&fs=1" type="application/x-shockwave-flash" allowfullscreen="true" width="540" height="437"></embed></object><br /> ]]>
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<title>『自由』は『音楽』に乗って・・・</title>
<description> 今や『ロック』という音楽の裾野は極めて広い。すでに60年代後半頃からインプロビゼーションを取り入れて精神的（？）にジャズに近づいていった物、実際にホーンを取り入れた物と様々である。そしてクラッシク音楽に接近した物、民族音楽に接近して行った物・・・etc、恐らく60年代後半あたりがターニング・ポイントであったと思われる。この時代は商業主義がある意味嫌われてフリー・コンサートが行われるなど『ロック』が一番『
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<![CDATA[ 今や『ロック』という音楽の裾野は極めて広い。すでに60年代後半頃からインプロビゼーションを取り入れて精神的（？）にジャズに近づいていった物、実際にホーンを取り入れた物と様々である。そしてクラッシク音楽に接近した物、民族音楽に接近して行った物・・・etc、恐らく60年代後半あたりがターニング・ポイントであったと思われる。この時代は商業主義がある意味嫌われてフリー・コンサートが行われるなど『ロック』が一番『芸術的』であった時代なのかもしれない。かつてポピュラー・ミュージック界においてメインストリームとして様々な音楽を取り入れて行くという役割は「ジャズ」が担っていた。それが60年代になって『ロック』に移り、60年代後半になってよりアグレブシブになって行ったのである。 <br /><br />60年代後半の時点で『ロック』はこんなに多様化しているのであるから今はいったいなんと表現したら良いのか私にはわからない。交じり合った音楽を聴いているうちに次第にそれらが「薄められた物」のように感じられてより濃い物を求めてルーツ・ミュージックに走って行った。ブルース、R＆B、ジャズ、カントリー・ミュージック、名前こそ分かれているが、実は微妙に重なり影響を与えながらお互いに育って来た。これらが多様な『ロック』の内の大部分の『骨』に当たる部分であったと思う。肉は増えたり減ったりするが、骨はいつまでも変わらずにある。死んでしまっても『骨』は残る物である。流行に関係なく常に存在し続けるわけである。 <br /><br />これだけ裾野の広がってしまった『ロック』であるが、はたして何と定義すれば良いのだろうか、私は音楽の「ジャンル分け」という物がメディアの便宜のためのもので人によっても考え方は多種多様であり決め付けるのはナンセンスではあると思うが、この「ジャンル分け」というのが音楽好きにとっては最高に楽しい「酒の肴」なのである。この話題によって喧嘩になってしまう場合も多いが、その人の音楽観、音楽遍歴を知るには一番手っ取り早い方法である。 <br /><br />私は『ロック』を『自由の音楽』と定義している。思想的な自由は勿論、音楽的スタイルの自由も含まれている。それゆえに「ロックはこうでなければ行けない」とか、セックス、ドラッグ、ロックン・ロール的な「デカダン」を「ロックだぜ！」という輩にはいつも疑問を覚えてしまう・・・。せっかく自由な音楽なのにその自由さを自ら否定してしまっているように思えるのである。その程度の上辺だけの「デカダン」ならばアルチュール・ランボー、ボードレール、バイロン卿の時代から存在するし、彼らの方が余程ボヘミアンである。 <br /><br /><br /><br /><br />『ロック』を『自由な音楽』と定義してみたものの音楽はベートーベンの時代からすでに『自由』を称えていた。そして自ら『自由』となっていったのである。（むしろ昨今では『自由』を持て余して先日の『ロック野郎』のように自ら『型』に嵌ろうとしている輩は多い）。『音楽』における『自由』獲得の輝かしい歴史に比べて人類の歴史においては『自由』はまだまだ獲得されていないと私は痛感しているのである。『音楽』のような輝ける『自由』が人類に訪れることを祈りつつ今宵も『音楽』で酩酊する私なのである。 <br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />The Ollabelle <br /><br /><br />ザ・バンドのレボン・ヘルムの娘が参加していることで話題になった。ルーツ・ミュージックに根ざしたグループ。メンバー全員がボーカルを取れるのが強み、それはザ・バンドと同じだが、このグループはゴスペル曲もやる。最初にボーカルをとっているのがレボンの娘、マンドリンも弾く。60年代のブルース・インベンションでブルースを歌う白人はたくさんいましたけどなかなかゴスペルに挑戦する人は少なかったです。その数少ない人がデラニー＆ボニー、レオン・ラッセルだったかも知れません。サザン・ロックの中のスワンプ・ロック・・・私はその（スワンプさ）はゴスペルにあったと思います。 <br /><br />そういったスワンプ以外のところでゴスペルが聴かれるようになってからすでに久しいですね。 <br /><br /><br /><br /><br /><object width="540" height="437"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/uG_GqYSXoIw&hl=en&fs=1"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/uG_GqYSXoIw&hl=en&fs=1" type="application/x-shockwave-flash" allowfullscreen="true" width="540" height="437"></embed></object><br /> ]]>
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<dc:date>2009-01-28T17:48:38+09:00</dc:date>
<dc:creator>ろんさむ</dc:creator>
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<title>横濱そぞろ歩き　④　（浅間車庫公園）</title>
<description> 『横浜そぞろ歩き ④』 （浅間車庫公園） 横浜駅からふらりと歩き そろそろポットに入れた珈琲で一服と 辿着いた小さな公園 真新しい遊具があるわけでもなし 都会のめまぐるしい栄枯盛衰から取り残されたような空間だった 誰もいない昼下がりの静けさの中 ベンチに腰掛けて鳥の囀りに耳を傾けた 街は季節のたよりすら 都会色のペンキで塗りつぶしてしまう それでも眼を閉じて耳をすませば 季節は必ず何かしらの（ヒント）を与えてく
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<![CDATA[ 『横浜そぞろ歩き ④』 （浅間車庫公園） <br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />横浜駅からふらりと歩き <br /><br />そろそろポットに入れた珈琲で一服と <br /><br />辿着いた小さな公園 <br /><br /><br /><br />真新しい遊具があるわけでもなし <br /><br />都会のめまぐるしい栄枯盛衰から取り残されたような空間だった <br /><br /><br /><br />誰もいない昼下がりの静けさの中 <br /><br />ベンチに腰掛けて鳥の囀りに耳を傾けた <br /><br /><br /><br />街は季節のたよりすら <br /><br />都会色のペンキで塗りつぶしてしまう <br /><br />それでも眼を閉じて耳をすませば <br /><br />季節は必ず何かしらの（ヒント）を与えてくれるものである <br /><br /><br /><br /><br /><br />珈琲で体が温まった頃 <br /><br />片隅にある小さな古ぼけた碑に眼が行った。 <br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />（木村担乎先生終焉之地） <br /><br /><br /><br />と記されていた。 <br /><br /><br /><br /><br /><br />いったい誰なんだろうと思案していると <br /><br />通りかかったおじさんが教えてくれた。 <br /><br /><br />明治、大正期、就学できない子供が多いことに嘆き <br /><br />私財をなげうち学校を作った教育者らしい <br /><br />関東大震災に巻込まれて始業式の日に亡くなったそうだ。 <br /><br /><br /><br />おじさんは母親にずうっと偉い先生だと聞かされて育ち <br /><br />この先生のお陰で偉くなった人がたくさんいるのに <br /><br />その人たちが見向きもしないと嘆いていた <br /><br /><br /><br /><br />そのあとおじさんは私に訊かれるがままに <br /><br />戦後の横浜駅周辺の変遷について小一時間ほど語ってくれた <br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />目的を持って歩くと <br /><br />その（目的）にばかり目が行ってしまう <br /><br />目的を持たずに歩くと <br /><br />案外向こう側から楽しい発見が声をかけてくれるものである。 <br /><br /><br /><br />やがておじさんは <br /><br /><br /><br /><br />『今日はこれから（ザキ）に行かなければならないんで失礼するね』 <br /><br /><br /><br /><br /><br />と言って去って行った。 <br /><br /><br /><br />昨今あまり聞かれなくなった（ザキ）なんて言葉を聞いて <br /><br />なんだかうれしくなってしまった <br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />いつの間にか子供達が集まり <br /><br />辺りに賑かな声を響かせていた <br /><br /><br /><br />朽ちかけてしまったような碑であるが <br /><br />木村先生は今もこうして子供たちを見守っているのだな・・・ <br /><br /><br />そんなことを考えた <br /><br /><br /><br /><br /><br />時は流れるものなのか・・・ <br /><br />巡るものなのか・・・ <br /><br />それはよくわからないが <br /><br />何処かで繋がっていることは確かだと思う <br /><br /><br /><br /><br /><br />さあ！ <br /><br />（ザキ）が呼んでいる <br /><br /><br />私も出かけるとしよう<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />※（ザキ）＝伊勢佐木町<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><object width="540" height="437"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/h9FI_ZoGFAQ&hl=en&fs=1"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/h9FI_ZoGFAQ&hl=en&fs=1" type="application/x-shockwave-flash" allowfullscreen="true" width="540" height="437"></embed></object><br /> ]]>
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<dc:date>2009-01-23T00:50:32+09:00</dc:date>
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<title>横濱そぞろ歩き③　（ランドマーク・タワー）</title>
<description> 『横濱そぞろ歩き　③』　（ランドマーク・タワー）ランドマーク・タワーとはよく言ったもので横浜のあちらこちらからその姿を望むことができる。何処から見ても同じ建築物に過ぎないはずなのだが観る場所によって表情が微妙に変わって来るから不思議である。それは自分のそのとき立っている場所にもよるのであろう整備された最先端の場所で見るときいかにも下町といった土地から見るときちょっとした郊外の畑の中から見るとき相容
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<![CDATA[ 『横濱そぞろ歩き　③』　（ランドマーク・タワー）<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />ランドマーク・タワーとはよく言ったもので<br /><br />横浜のあちらこちらからその姿を望むことができる。<br /><br />何処から見ても同じ建築物に過ぎないはずなのだが<br /><br />観る場所によって表情が微妙に変わって来るから不思議である。<br /><br /><br />それは自分のそのとき立っている場所にもよるのであろう<br /><br />整備された最先端の場所で見るとき<br /><br />いかにも下町といった土地から見るとき<br /><br />ちょっとした郊外の畑の中から見るとき<br /><br /><br /><br />相容れないと思えるような場所から見ても<br /><br />風景の中にちゃんと溶け込んでいるからまた不思議である。<br /><br />風景を強引にねじ伏せて割り込んで座ってしまう<br /><br />それが（文明）という奴なのかも知れない。<br /><br /><br /><br /><br />いつ見ても<br /><br />何処から見ても<br /><br />あの箱の中には常に<br /><br />マッチ箱のマッチみたいに<br /><br />人が沢山つまっているんだなと思うと<br /><br />またまた不思議になってしまう。<br /><br /><br /><br />人ごみの中で見るランドマーク・タワーは<br /><br />心なしか生き生きしている<br /><br />人間が技術の粋を集めて作ったのだから<br /><br />人の間から見ればバベルの塔のように誇らしげに<br /><br />聳えている。<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />だけど・・・<br /><br />一番印象に残っているのは<br /><br /><br />根岸共同墓地の墓石群の中に紛れ込んだ（少しスマートな墓石）といった風情<br /><br /><br />久保山墓地の墓地群を従えた（巨大親玉墓石）といった図<br /><br />そんなランドマーク・タワーだ・・・。<br /><br /><br /><br />古く、重い墓石群に紛れ込んだランドマーク・タワーは<br /><br />肩身のせまい新入りの墓石に過ぎなかった・・・。<br /><br /><br />風雪の重みの前には<br /><br />文明という物も付け焼刃の一つに過ぎないのかも知れない・・・。<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />桜木町駅に降り立ち<br /><br />見上げる雨の夜のランドマーク・タワー<br /><br /><br />上の方は雨に煙り見えなくなっていた・・・。<br /><br /><br />ガスに滲む灯りが冷たい雨粒を映し出していた<br /><br /><br /><br /><br /><object width="540" height="437"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/OlbAdjz0RPE&hl=en&fs=1"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/OlbAdjz0RPE&hl=en&fs=1" type="application/x-shockwave-flash" allowfullscreen="true" width="540" height="437"></embed></object><br /> ]]>
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<title>まなざしの集う場所</title>
<description> 日曜日に横浜美術館でセザンヌ展を観て来た。『セザンヌ主義』というタイトル通りにセザンヌ本人の作品と（セザンヌ・チルドレン）というべき画家たちの作品が集められていた。日本人の作品もあった。 私の場合は絵心もないし鑑賞の仕方（そんなものがあるのかもわからないが・・・）も知らない。しかしながら美術館にはよく足を向けている（少なくとも月一回くらいは行っているだろう）。初めて美術館に行ったのは幼稚園の頃だっ
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<![CDATA[ 日曜日に横浜美術館でセザンヌ展を観て来た。『セザンヌ主義』というタイトル通りにセザンヌ本人の作品と（セザンヌ・チルドレン）というべき画家たちの作品が集められていた。日本人の作品もあった。 <br /><br />私の場合は絵心もないし鑑賞の仕方（そんなものがあるのかもわからないが・・・）も知らない。しかしながら美術館にはよく足を向けている（少なくとも月一回くらいは行っているだろう）。初めて美術館に行ったのは幼稚園の頃だったと思う。上野にパンダのランランとカンカンを観に行ったときについでにモナリザを観たのだった。モナリザを（ついでに観る）のだからこの家族のお里は知れてしまうだろう。 <br /><br />絵画に限らず芸術作品を観るということは時、場所を超えた（つくり手）との一対一の対話だと思う。人づてに話を聞くならばそれは対話にはなりえない。評論家、セオリーといった物は往々にして（つくり手）を雛壇の上に奉り、御簾の奥に隠してしまいがちである。それでは（つくり手）と対等の対話はできないし、良い話も聴ける訳がない。（神の前に人間は平等）ならぬ（絵の前に人間は平等・・・作者も）そんな環境が一番心地良いような気がする・・・あぐらをかいて向かい合い（つくり手）とさしで一杯やるような感じで・・・。 <br /><br />私は絵本体よりもむしろその（つくり手）の（人間）の方に強く興味を惹かれる・・・。（自分とも繋がるような）人間ドラマを求めてしまう。（絵）だけでは私は（つくり手）とは繋がることができないのである。（つくり手）がその絵を描いた瞬間、彼はその対象にどのような（まなざし）を向けていたのか・・・それを強く知りたいと思う。（つくり手）の（まなざし）を見つめてそこから対話を始めて行きたい、例えそれが優しいまなざしであっても厳しいまなざしであっても。 <br /><br />要するに私は自分の絵画を観る目が肥えてないのを良いことにまるで音楽か講演会のように絵をいつも（聴き）に行っているのである。 <br /><br /><br />そんなこんなで日曜日は横浜美術館まで出向いてセザンヌ爺さん達の話を聴いて来た。絵を観ることの下手な私に集中力がある訳もない。いつもの事だが幾つかの絵を観ているうちに飽きてしまい、絵を観る人の方に目線が行ってしまった。 <br /><br />私は絵よりもむしろ（絵を観る人）を眺めることが好きなのかも知れない。会場にはいかにも美大生といった感じで緊張感溢れるまなざしで絵を眺める若者、買い物ついでに闖入して来たようなおばちゃん・・・とりあえず入場料の元手分は回収しようと彼女のまなざしはあちらこちらに泳いでいる、その付録でくっついて来たようなおじさん・・・彼は気弱そうなまなざしで動き回る相方と絵を交互に見ている、乳飲み子を抱えてまで出かけて来た若いお母さんの真摯なまなざし・・・本当に多種多様な人々が集っていた。そして多種多様なまなざしが飛び交っていた。 <br /><br /><br />しかしながら交差するこれらの（まなざし）を喚起して操っているのはやはり絵を描いた（つくり手）の（まなざし）なのである。同じ美術館でも展示される絵によってまったく空気が変わる・・・そして人々の（まなざし）も変わる・・・。 <br /><br />作者が去っても絵は残る。（つくり手）が去ってもその（まなざし）は残り未来永劫（言葉）を紡ぎ出し続ける。そしてその（言葉）は新たなる（まなざし）を永遠に産み出し続ける。 <br /><br />私は絵を端緒として時代や場所、職業、目的を超えて様々な（まなざし）が集うこの美術館という場所の空気が大好きである。 <br /><br /><br /><br /><br /><object width="540" height="437"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/TE5U5DK5rjw&hl=en&fs=1"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/TE5U5DK5rjw&hl=en&fs=1" type="application/x-shockwave-flash" allowfullscreen="true" width="540" height="437"></embed></object><br /> ]]>
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<title>運命</title>
<description> 私の職場にはたくさんのカレンダーが貼ってある。電話のそばは勿論、機械の陰の壁にまで・・・。どの仕事でもそうだろうが私の仕事も『納期』に追われる仕事である。日々カレンダーと睨めっこしながら仕事をしているわけである。月末に仕事を終えるとその月のカレンダーを破く習慣なのだが忙しさにかまけて忘れてしまうこともある。取引先の人と電話で予定を立てているときにカレンダーを見て「あれ？」となることもよくある。 『
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<![CDATA[ 私の職場にはたくさんのカレンダーが貼ってある。電話のそばは勿論、機械の陰の壁にまで・・・。どの仕事でもそうだろうが私の仕事も『納期』に追われる仕事である。日々カレンダーと睨めっこしながら仕事をしているわけである。月末に仕事を終えるとその月のカレンダーを破く習慣なのだが忙しさにかまけて忘れてしまうこともある。取引先の人と電話で予定を立てているときにカレンダーを見て「あれ？」となることもよくある。 <br />『日めくりカレンダー』という物もあるが、あれを毎日破いている人は本当に偉いと思う。月めくりのカレンダーならまだしも『日めくりカレンダー』を破くのを忘れて溜めてしまうとこれは大変なことになってしまう。しかしながら一日一日を終えるごとにカレンダーをベリっと破くことは達成感があり気持ち良いかもしれない・・・。 <br /><br />人間は『日めくりカレンダー』のように蓄積される『過去』を破き捨てることはできない。ずうっと死ぬまで背中に背負って生きていかなければならないのである。それゆえに私は『運命』という言葉を聞くとがっくり来てしまうのである。もし『運命』で『結果』が最初から決まっているとしたら日々の苦労はすべて徒労のように思えてしまう。『運命』を扱った映画で『ファイナル・ディスティネーション』という作品があった。修学旅行か何かで皆飛行機に乗り込んで席に着くのだが生徒の一人がその飛行機が墜落するリアルな夢を見て恐怖に駆られて友人数人と飛行機から無理に降りてしまう。そして一人の教師がその連中を追いかけて飛行機を降りて彼らを説教しているときに飛び上がった飛行機は空中爆発してしまう・・・。この時に死ぬべき『運命』にあった彼らが死ななかったために『運命』は帳尻を合わせるために次から次へと彼らに襲いかかる。ビルから物が落ちてきたり、車がいきなり飛び出してきたり・・・。姿が見えない『運命』が相手だけに実に怖い映画であった。 <br /><br />はたして『運命』は『借金取り』のように帳尻を合わせにやってくるものなのか、ベートーベンのように『闘う』対象であるのか、それともそんな物は存在しないのか、わからないが『闘う』対象があれば人間は強くなれるように思える。一日一日『日めくりカレンダー』のように『運命』を破り捨てるような生き方をしたいものである。 <br /><br /><br /><br /><br /><object width="540" height="437"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/I_Sjow_vHIM&hl=en&fs=1"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/I_Sjow_vHIM&hl=en&fs=1" type="application/x-shockwave-flash" allowfullscreen="true" width="540" height="437"></embed></object><br /> ]]>
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<title>決まり</title>
<description> 小学校の頃だろうか「俳句」「短歌」について初めて学んだのは。「五・七・五」とか「季語」とか「枕詞」とかいろいろな「決まり」があることを知った。どんなことに関する「決まり」でも中学生くらいになると煩わしくなる、そして反発を覚え「自由」を求めたがる。しかしながら社会に出てみると世の中は「決まり」だらけである。そしてけして「決まり」がネガティブなだけのものではないことに気づく、「決まり」に助けられ、守ら
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<![CDATA[ 小学校の頃だろうか「俳句」「短歌」について初めて学んだのは。「五・七・五」とか「季語」とか「枕詞」とかいろいろな「決まり」があることを知った。どんなことに関する「決まり」でも中学生くらいになると煩わしくなる、そして反発を覚え「自由」を求めたがる。しかしながら社会に出てみると世の中は「決まり」だらけである。そしてけして「決まり」がネガティブなだけのものではないことに気づく、「決まり」に助けられ、守られていることに気がつくからである。その結果「決まり」に依存してしまうのである。逆に小学生時代の柔らかい頭だと「決まり」の中に「遊び」を発見し、楽しむくらいの柔軟さがある。私達も小学生時代、「俳句」、「短歌」の「決まり」を「制約」とは考えず「ゲーム」の「ルール」として楽しんだ。「ゲーム」は「ルール」があるからこそ「ゲーム」として成り立つのであって「ルール」がなければ話にならない。将棋で負けそうになると盤を引っくり返してしまう人がいたが、それはゲームを楽しんでいるとは言えず、「勝ち」「負け」の結果だけしか念頭にないのだろう。 <br /><br />ただ「俳句」、「短歌」に関する「決まり」が「ルール」として作られたようには私は思わない。流れに削られる河原の石や、鍾乳洞の中の鍾乳石のように自然にそして自由に洗練されていったように思えるのである。恐らくそれにはさして時間はかからなかったと思う。日本人であれば共通している感性でそのリズム、言葉の響き、そして古来日本人には欠かすことができなかった季節にかんする敏感さ・・・。それらが自然に発露、萌芽していったように思えるのである。それを「決まり」として教えざるえなくなったのは、伝統的日本人の感性が現代の我々に欠落しつつある悲しむべき事実のように思えてならない。この「決まり」を学び、俳句、短歌を読み考えることなく直感的に心に響くものがあるのならばよいが、やがて何も感じることがない日本人ばかりになるのはひじょうに哀しいことである。「俳句」「短歌」の「決まり？」を「制約」と考えてしまう現代日本人の我々はまさに「決まり」に制約されている民族である。 <br /><br />それにしても「三十一文字」という小さな空間にだいたい五文字の「枕詞」を入れ、それを（扉）として宇宙を構築して行く・・・。そんな日本の「短歌」「俳句」のような詩歌は世界中さがしても存在しないであろう。 <br /><br /><br />そしてこれだけ自由を感じさせる詩歌も存在しないであろう。<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><object width="540" height="437"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/GtPBv0KEQNc&hl=en&fs=1"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/GtPBv0KEQNc&hl=en&fs=1" type="application/x-shockwave-flash" allowfullscreen="true" width="540" height="437"></embed></object><br /> ]]>
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<title>微熱</title>
<description> ページ数も多くその厚みの存在感は大きく見えるのだが、家の隅に追いやられあまり振り返られることがなくなってしまった電話帳。かつては頻繁にめくって友人宅だのラーメン屋だの修理屋だのその都度開いて調べたものだった。携帯電話の普及により電話帳の役目は大分減らされてしまったようだ。 子供の頃は厚い本にはあまり縁がなかった。漫画もそれ程には厚くなかったし厚い本を読み徹すような集中力は落ち着きのない私には到底な
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<![CDATA[ ページ数も多くその厚みの存在感は大きく見えるのだが、家の隅に追いやられあまり振り返られることがなくなってしまった電話帳。かつては頻繁にめくって友人宅だのラーメン屋だの修理屋だのその都度開いて調べたものだった。携帯電話の普及により電話帳の役目は大分減らされてしまったようだ。 <br />子供の頃は厚い本にはあまり縁がなかった。漫画もそれ程には厚くなかったし厚い本を読み徹すような集中力は落ち着きのない私には到底なかった。それゆえに電話のそばにデンと置いてある厚い電話帳が物珍しかった。用もないのにパラパラめくったり、自分と同じ名前、おもしろい名前を探したりして遊んだものだった。新学年になると配られる『学級緊急連絡網』をすぐになくしてしまい、友達に電話をするときも世話になったものである。 <br /><br />高校のクラスメートに陸上部の奴がいた。彼は東京在住だった。彼は川崎在住のある少女に一目惚れしてしまった。私たちの学校は男子高だったので陸上競技の大会か何かで彼はその少女に出会ったらしい。出会ったといっても体育会系のウブな男子高生である、どうせ一言三言口を交わしただけだったのだろう。そんな彼が真剣な顔で『おい○○！（私の名前）お前の家は川崎だったよな？たのむ！お願いだから川崎市の電話帳を持って来てくれ！』と私にたのみこんで来た。私は重たい電話帳を鞄に入れて持って来るのは面倒なので名前を教えてくれたら調べてやると言った。そして名前を彼に訊くと『鈴木』だか『佐藤』だか、星の数程いるような苗字であった。そのうえ電話帳の名前が高校生の少女の名義で記載されていることは有り得ない、勿論彼は少女の両親の名前すら知らない。私は、いかに電話帳からその少女の電話番号を探し出すことがむづかしいかを彼に説いた、さらに仮に番号を見つけたとして開口一番どういう挨拶をするつもりなのかと彼に訊いた。彼はうわの空で、最初のデートのプランを私に語っていた。仕方なく私は電話帳を彼に貸してあげた。 <br /><br />数週間して戻って来た電話帳はかなりくたびれていた。少女の苗字とおぼしき名前の横には薄く鉛筆でチェックの印がつけられていた、しかしながら印は1ページ分続かず途中で終わっていた。その印一つ一つに彼の情念と心境の変化を感じ取ることができて何か私まで切ない気持ちになってしまった。普段ならば『お前本当にバカだな！』と笑い飛ばしてしまうのだが、この時は彼から男子高特有のむさ苦しさ、偽悪、がさつさとは違った場所にある潔癖さ、純粋さを見せ付けられたような気になり私は当惑してしまった。今ならば悟り切ったような顔で素通りしてしまうのだろうが、当時の私は身につまされた。他人事ではなく彼の気持ちを理解し、共感できたので笑いもせず、慰めもせず、沈黙した。大人が使う『幼さ』、『世間知らず』、『無知』などの言葉だけでは片付け切れない一途さ、一冊の電話帳でさえ夢を見ることができる・・・あの頃は常に心の何処かに何か『微熱』のような酩酊があった。 <br /><br />そして今ここには電話帳を開いて好きな女の子の番号ではなく、新しい取引先開拓のために電話番号を探している私がいる。もう電話帳に夢を託すことはとてもできそうもない。電話帳に限らず多くの物が現実的、実務的、実用的な物にしか映らなくなってしまったことはとても寂しく、そして哀しい。 <br /><br /><br /><br /><br /><object width="540" height="437"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/PfA7HQp_bI8&hl=en&fs=1"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/PfA7HQp_bI8&hl=en&fs=1" type="application/x-shockwave-flash" allowfullscreen="true" width="540" height="437"></embed></object><br /> ]]>
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<dc:date>2009-01-19T17:56:03+09:00</dc:date>
<dc:creator>ろんさむ</dc:creator>
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<title>顔</title>
<description> 駅前商店街の雑踏を歩いている時にばったりと取引先の人と出会った。長々と話す話題もなく挨拶とさして意味も無い世間話をして別れた。相手が立ち去ろうとしたときにふと顔を上げると店のショーウインドウに笑みを浮かべている自分の顔が写っていた。それは至極『無味無臭』『無味乾燥』な笑みだった。私は無意識の内に感情の欠落した笑みを作っていたのである。 『表情』を作るようになったのはいつからだろう、家庭、学校、仕事
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<![CDATA[ 駅前商店街の雑踏を歩いている時にばったりと取引先の人と出会った。長々と話す話題もなく挨拶とさして意味も無い世間話をして別れた。相手が立ち去ろうとしたときにふと顔を上げると店のショーウインドウに笑みを浮かべている自分の顔が写っていた。それは至極『無味無臭』『無味乾燥』な笑みだった。私は無意識の内に感情の欠落した笑みを作っていたのである。 <br /><br />『表情』を作るようになったのはいつからだろう、家庭、学校、仕事場、家族といるとき、友人といるとき、会社の同僚といるとき、お得意さんといるとき・・・。多くの場合『表情』を作るのは『世渡り』のためだった。勿論自分のためだけではなく相手のことを思いやって『表情』を作ることもある。外国人がよく指摘する日本人の意味のない笑み、これも日本人同士、昔からお互いのコミュニケーションを円滑に進めるため自然に身につけた気配りだったのだろう。 <br /><br />『相手を思いやってときには『表情』を作ってあげる』、私はこれを一つの『大人の嗜み』のように考え自分の成長過程で多少無理して身につけようとした。よく人からは『○○さんはいつも笑顔だね』と言われた。そう言われてまた笑顔を浮かべなくてはいけないような気分になってしまったのである。そのこと自体は別に悪い事とは思わないが問題は私が自分の本当の『顔』を半ば忘れかけてしまっていることである。ときどき忘れてしまった自分の『顔』を『表情』によって作ろうとしている自分に気づき愕然とすることがある。取り戻そうとするのならわかるが作ろうとしているのであるから最早自分の本当の『顔』を失ってしまったに等しい。 <br /><br />『大人』になるということは『顔』を『創る』ことであり、けして『顔』を『作る』ことではないだろう。『鏡』がなければ人は自分の『顔』を見ることができない、自分を叱ってくれる人はいわば『鏡』だったのかも知れない。叱ってくれる人は歳を重ねていくごとに次第に減って行く。『鏡』を失って行くであろう私は今から自分の『顔』を『創る』ことができるのか、それとも過去に遡って探した方がいいのだろうか・・・。 <br /><br /><br /><br />陽だまりで心地よさそうに寝そべる猫が彼（彼女？）自身の『顔』で私を見つめている・・・。 <br /><br /><br /><br /><br /><br /><object width="540" height="437"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/0ZyHfmfiRGo&hl=en&fs=1"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/0ZyHfmfiRGo&hl=en&fs=1" type="application/x-shockwave-flash" allowfullscreen="true" width="540" height="437"></embed></object><br /> ]]>
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<dc:date>2009-01-17T23:04:52+09:00</dc:date>
<dc:creator>ろんさむ</dc:creator>
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<title>夢で逢いましょう</title>
<description> モノクロ映画というものも独特の味があるが私は50年代のアメリカのカラー映画の色彩に参ってしまう。「セピア色」というのとも違う独特のメローな色彩である。「テクニカラー」とか「総天然色」という古い呼び名がしっくりくるような色である。当時の映画スターというのはまさに「銀幕の世界」＝銀幕の向こう側にいた。もちろん今と変わらずスターの私生活を追いかけるゴシップというのは存在したのであろうが、そんな私事を吹き飛
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<![CDATA[ モノクロ映画というものも独特の味があるが私は50年代のアメリカのカラー映画の色彩に参ってしまう。「セピア色」というのとも違う独特のメローな色彩である。「テクニカラー」とか「総天然色」という古い呼び名がしっくりくるような色である。当時の映画スターというのはまさに「銀幕の世界」＝銀幕の向こう側にいた。もちろん今と変わらずスターの私生活を追いかけるゴシップというのは存在したのであろうが、そんな私事を吹き飛ばすようなオーラーを彼らは映画の中で放っている。映画が「夢」の世界でありえた時代だったのかもしれない。たとえB級のラブ・コメディーであっても当時の映画は「夢」を見させてくれるから不思議である。その時代のアメリカが揺るぎのない鉄壁の自信を持ちえたことも一つの要因だったのかもしれないが、何も考えずとも楽しませてくれるような映画が本当に多い。現在の日本においてこれらの映画を観ていると時代の距離だけではなくもっともっと深い距離を感じてしまうのだ。「夢」と「現実」との距離といってしまってもよいだろうか。「夢」を観ることも許されない世相で映画すらも冷めた目で見てしまいがちな日本においてこれらの映画を観ていると忘れかけていた「夢」を思い出させてくれるような気がするのである。そして「夢」は思い切り「夢」らしくあってよいと教えられるのである。たとえ経済的に裕福であっても「夢」を観ることができない国は一番不幸である。「夢」は決して子供だけの物ではない、大人こそが「夢」を見つづけなければいけないと思うのである。日々鋭くとがった「現実」を喉元に突きつけられているのだから・・・。 <br /><br />良い悪いはともかくとして子供だけではなく、大人の「夢」もちゃんと用意されていたあの時代のアメリカはすごいと思うのである。 <br /><br /><br /><br /><br /><object width="540" height="437"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/uIJ9IlL9uRQ&hl=en&fs=1"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/uIJ9IlL9uRQ&hl=en&fs=1" type="application/x-shockwave-flash" allowfullscreen="true" width="540" height="437"></embed></object><br /> ]]>
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<dc:date>2009-01-16T13:30:21+09:00</dc:date>
<dc:creator>ろんさむ</dc:creator>
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<title>夜の鈍行列車</title>
<description> 飲み終えてふらりと乗り込む鈍行列車の雰囲気が妙に好きである。気持ちよく酔った人、気持ち悪く酔った人、飲まずに残業をしていた人、様々な人が乗り込んでいるが、共通するのはみんな疲れ切っているということだろうか。それゆえに車内は弛緩した空気が漂っている。口を開けて眠っている人、つり革にもたれてかろうじて立っている人・・・etc、そんな人達を観察している自分自身、相当だらけて弛緩しきっているのかもしれないが
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<![CDATA[ 飲み終えてふらりと乗り込む鈍行列車の雰囲気が妙に好きである。気持ちよく酔った人、気持ち悪く酔った人、飲まずに残業をしていた人、様々な人が乗り込んでいるが、共通するのはみんな疲れ切っているということだろうか。それゆえに車内は弛緩した空気が漂っている。口を開けて眠っている人、つり革にもたれてかろうじて立っている人・・・etc、そんな人達を観察している自分自身、相当だらけて弛緩しきっているのかもしれないが・・・。<br /><br />朝の通勤列車と違い夜の電車は「家」に向かっているということもあってか、こころなし乗客の顔も和やかなようにも思える。もちろん中には酒癖の悪い輩もいるが・・・。<br /><br />自分で歩いたり、車を運転したり、何か行動しているときはよいのだが電車に乗り込みすべてを他人にゆだねて（荷物）となって運ばれているときは時間が長く感じられてイライラしてしまうものである。通勤の時、遅刻しそうな時などは特にそうである。これも二十世紀にできた新手のストレスなのだろうが・・・・。<br />かつては日本の通勤ラッシュ時の列車内の人間の密度は奴隷貿易の奴隷船以上だと聞いたことがある。そして朝は座席をたたんでしまうような列車も登場したが、これではまさにアウシュビッツ行きの列車のようだ・・・。<br /><br /><br />文明が進歩すればするほど手間がはぶけて楽になって時間ができて快適になるはずなのに人間の欲望はその時間をさらに侵食してしまう。そして新たにより重いストレスの元をつくってしまう。しまいにはそのためにつぶされてしまうように思えてならない。<br /><br />夜の鈍行列車で見られる弛緩しきった顔の群れ・・・笑ってしまうのは簡単であるが、その奥に潜んだ病巣というのは本当に恐ろしいものがあるのかもしれない。せめて家に向かっているときくらいは仕事のことを忘れて穏やかな夢が与えられてもいいではないか、と思ってしまうのである。布団に入って眠ってからも仕事は夢の中まで追いかけてくるのであるから・・・。 <br /><br /><br /><br /><object width="540" height="437"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/5YnHmaYaJpo&hl=en&fs=1"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/5YnHmaYaJpo&hl=en&fs=1" type="application/x-shockwave-flash" allowfullscreen="true" width="540" height="437"></embed></object><br /> ]]>
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<dc:date>2009-01-16T12:06:46+09:00</dc:date>
<dc:creator>ろんさむ</dc:creator>
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<title>あの味</title>
<description> ラジオ、テレビ、インターネットと情報伝達の手段は進化していっているが、「味覚」を伝えることはまだできていない。ときどき思うのである、（あの味）にもう一度出逢ってみたいと。私の街の商店街は完全に消滅してしまった。もともとそんなに大きな商店街があったわけではないのだが、それでも魚屋、肉屋、八百屋、パン屋、お菓子屋と一通り日常生活はその商店街でまかなうことができた。その中で一番好きだったのは肉屋である。
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<![CDATA[ ラジオ、テレビ、インターネットと情報伝達の手段は進化していっているが、「味覚」を伝えることはまだできていない。ときどき思うのである、（あの味）にもう一度出逢ってみたいと。<br /><br />私の街の商店街は完全に消滅してしまった。もともとそんなに大きな商店街があったわけではないのだが、それでも魚屋、肉屋、八百屋、パン屋、お菓子屋と一通り日常生活はその商店街でまかなうことができた。その中で一番好きだったのは肉屋である。トンカツ、メンチ、コロッケ！みんな絶品であった。今考えてもあの値段で採算がとれるわけはなさそうで、案の定、それが原因で店をしまうことになってしまったようだ。しかしながら最後までいい品を安い値段で出しつづけた主人の魂というか気迫は今でも私の記憶に焼きついている。だって本当にうまかったんだもん！店頭でコロッケ、ハムカツにソースをかけてもらって食べるのだけど、いつも顔が自然に綻んでしまったものだった。<br /><br />商店街は「共存共栄」「相身互い」で連携プレイがみられる。これは今でも残っているパン屋さんだが終戦後間もなくからずっとやっている店で売り場面積1坪！ディスプレイもなにもなし！ただ小さいショー・ケースにパンが並んでいるだけである。その内容も恐らく昭和30年代そのものである。コッペパンにコロッケ・パン、タマゴ・パン、ヤキソバ・パン、あんパン、ソーセージ・パン・・・。50年来メニューはあまり変わっていないようである。このパン屋さんのコロッケ・パンに前述の肉屋さんのコロッケが使われていたのだからおいしくないはずがない。自家製で少しイビツな形のパンにあのコロッケが搭載されると、一口食べると天にも昇る気分であった。<br /><br />量販店、チェーン店の登場でどこへ行っても同じ形、同じ味ばかりになってしまった。外食ならまだいいのだが、日々の家庭の食卓にあがる食材が日本全国つつうらうら物差しで計ったように同じ大きさで同じ味であったら本当に哀しいことである。<br />商店街というのは場所によって個性がある。それを見て歩き、食べて歩くのも楽しみの一つなのであるが、やはり自分の地元の商店街の味は自分を育ててくれた「味」とも言える。<br /><br />どんな高級レストラン、料亭、グルメ番組で取り上げられる様々な「味」よりも、一番残して欲しいのは自分を育ててくれた（あの味）なのである。 <br /><br /><br /><br /><br /><object width="540" height="437"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/M0BOPOCBDYc&hl=en&fs=1"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/M0BOPOCBDYc&hl=en&fs=1" type="application/x-shockwave-flash" allowfullscreen="true" width="540" height="437"></embed></object><br /> ]]>
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<dc:date>2009-01-15T16:06:37+09:00</dc:date>
<dc:creator>ろんさむ</dc:creator>
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<title>均衡</title>
<description> 『均衡』 意識している訳でもないのに 適度な力で握られて 落下しない掌中のコップ 逆に意識し始めると その均衡は不自然さによって 壊されてしまう 世の中はそんな危うい均衡で なりたっている 生命はそんな危うい均衡で なりたっている 時折・・・ 意識せずにコップを落下させてみたい・・・ そんな衝動にかられる あたりまえのようでいて・・・ 安定しているように思われて・・・ 実は危うい綱渡り・・・ そんな均衡のうえで 我
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<![CDATA[ 『均衡』 <br /><br /><br /><br />意識している訳でもないのに <br /><br />適度な力で握られて <br /><br />落下しない掌中のコップ <br /><br /><br />逆に意識し始めると <br /><br />その均衡は不自然さによって <br /><br />壊されてしまう <br /><br /><br /><br />世の中はそんな危うい均衡で <br /><br />なりたっている <br /><br /><br />生命はそんな危うい均衡で <br /><br />なりたっている <br /><br /><br /><br />時折・・・ <br /><br />意識せずにコップを落下させてみたい・・・ <br /><br />そんな衝動にかられる <br /><br /><br /><br />あたりまえのようでいて・・・ <br /><br />安定しているように思われて・・・ <br /><br />実は危うい綱渡り・・・ <br /><br /><br /><br />そんな均衡のうえで <br /><br />我々は寝たり、起きたり <br /><br />食べたり、働いたり、 <br /><br />遊んだりして生きている<br /><br /><br /><br /><br /><object width="540" height="437"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/VEOV5vWfSgI&hl=en&fs=1"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/VEOV5vWfSgI&hl=en&fs=1" type="application/x-shockwave-flash" allowfullscreen="true" width="540" height="437"></embed></object><br /> ]]>
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<title>余韻</title>
<description> たまにいたずらで吸うことはあっても基本的に煙草を嗜まない私である。それゆえに煙草に関しては敏感なのかもしれない。かといって煙草が嫌いという訳でもない。父方の田舎が煙草農家であったこともあるし、彼是三十年前に亡くなった祖父がヘビー・スモーカーであった。祖父の匂いといえば煙草の匂いであった。そんなこんなで煙草にある種の懐かしさすら覚えたりする。友達が部屋に来て一緒にワイワイガヤガヤやって飲んだあと、皆
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<![CDATA[ たまにいたずらで吸うことはあっても基本的に煙草を嗜まない私である。それゆえに煙草に関しては敏感なのかもしれない。かといって煙草が嫌いという訳でもない。父方の田舎が煙草農家であったこともあるし、彼是三十年前に亡くなった祖父がヘビー・スモーカーであった。祖父の匂いといえば煙草の匂いであった。そんなこんなで煙草にある種の懐かしさすら覚えたりする。<br /><br />友達が部屋に来て一緒にワイワイガヤガヤやって飲んだあと、皆が帰ったテーブルには吸殻でいっぱいの灰皿が残されている。その吸殻の山を見ているとさきほどの喧騒とはうってかわった静けさの重みがのしかかってくる。吸殻というものには個性が表れるものである。銘柄もそうだが、吸い方のくせ・・・フィルターのギリギリの所まで吸う人、早めに切り上げ次の煙草に火をつける人、燃え尽きるまで煙草を放っておく人、思い切り灰皿にこすりつけて消す人、フィルターを噛む人・・・各自特徴を持っている。<br />　<br /><br />喫茶店で本を読んでいたら隣に座った男が何かモジモジしながら煙草を吸っていた。火がうまくつかないらしく何回もライターに点火している。そして吸い始めたと思ったらすぐに消して次の煙草に火をつける。そんな動作を一時間程続けているとやがて一人の女がやって来た。どうやら別れ話のようだった。女は言葉少なに決定的な言葉をしゃべってロング・サイズのメントール煙草に火をつけた。そして長い沈黙・・・。女はその一本を吸い終わると足早に店を出て行った。男はその後5分程腕を組み天井を見つめていたが、やがて出て行った。テーブルの灰皿には男が途中で吸ってはこすりつけてもみ消したおびただしい数の吸殻と、フィルターに口紅の跡がついた女の吸った一本のメンソール煙草が残されていた。吸殻は沈黙の中でドラマの余韻を語っていた。女性が吸った煙草のフィルターに残された口紅の跡、この印象は艶かしくとても強烈である。<br /><br /><br />煙草ではないが、以前、法事で寺へ行った時に待合室になっている和室で茶を出された。その茶碗にはくっきりと口紅の跡が残っていた。どのような年齢、容姿の女性の物かはわからないが、寺という場所で・・・次の間から読経が響いて来る中で見た口紅の紅色は強烈な色彩であった。常に生と死が交差する寺という場所・・・。<br /><br />そこで見せつけられた生臭い「生」の「余韻」であった・・・。<br /><br /><br /><br /><object width="540" height="437"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/IcEwsoR8J0Y&hl=en&fs=1"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/IcEwsoR8J0Y&hl=en&fs=1" type="application/x-shockwave-flash" allowfullscreen="true" width="540" height="437"></embed></object><br /> ]]>
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<title>知る</title>
<description> 『知る』 知らず知らずのうちに樹の前で立ち止まって眺めていたり、 花の前にしゃがみこんでいたり、雲を眺めていたり… そんなときにもっと知識があったら楽しいだろうなと思う 樹の名前,花の名前,雲の名前… それを知っていたら他の人に（〇●▲の花が咲いてたよ…）と話すこともできるし、 自分でも（花の名前を知っていれば…）いつでもどんな花を見たかを思い出せる… 知識は蘊蓄（うんちく）になってしまいやすいけど、 もっと人に…
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<![CDATA[ 『知る』 <br /><br />知らず知らずのうちに樹の前で立ち止まって眺めていたり、 <br /><br />花の前にしゃがみこんでいたり、<br /><br />雲を眺めていたり… <br /><br />そんなときにもっと知識があったら楽しいだろうなと思う <br /><br /><br />樹の名前,花の名前,雲の名前… <br /><br />それを知っていたら他の人に（〇●▲の花が咲いてたよ…）と話すこともできるし、 <br /><br />自分でも（花の名前を知っていれば…）<br /><br />いつでもどんな花を見たかを思い出せる… <br /><br /><br /><br />知識は蘊蓄（うんちく）になってしまいやすいけど、 <br /><br />もっと人に…<br /><br />自分に…<br /><br />そして心に優しいものなんだと思う <br /><br /><br />知識があればその花の前を素通りすることはないだろうし <br /><br />知ってる花ならばうれしくもあり <br /><br />知らない花ならば知りたくもなるだろう <br /><br /><br />それは些細なことで、<br /><br />短い時間の出来事,<br /><br />癒しにすぎないかも知れないけど <br /><br />こういった細切れの時間の繰り返しが<br /><br />（豊かさ）,（精神の豊かさ）といえるのかもしれない。 <br /><br /><br /><br /><br /><br />振り返ってみると素通りして来たことがいかに多いことか <br /><br />やはりそれは大きな損をしてきたということかも知れない<br /><br /><br /><br /><object width="540" height="437"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/G6-cKpyJ5W4&hl=en&fs=1"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/G6-cKpyJ5W4&hl=en&fs=1" type="application/x-shockwave-flash" allowfullscreen="true" width="540" height="437"></embed></object><br /> ]]>
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<dc:date>2009-01-14T13:16:42+09:00</dc:date>
<dc:creator>ろんさむ</dc:creator>
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<title>木造校舎</title>
<description> 小学校五年生まで木造の校舎だった。この校舎は母が入学と同時に出来たというから昭和二十二年築らしかった。私の五年生の夏休みに取り壊されたので三十一年の生涯となる。思ったよりも短い寿命だ。鉄筋建ての校舎であれば五十年くらいはもつだろうに。しかしながら私達が使っていた時は実に風格、歴史を感じたものである。階段の手スリは黒光し、踏み減らされた床は変色していた。実に掃除のし甲斐があった。手スリは磨けば磨くほ
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<![CDATA[ 小学校五年生まで木造の校舎だった。この校舎は母が入学と同時に出来たというから昭和二十二年築らしかった。私の五年生の夏休みに取り壊されたので三十一年の生涯となる。思ったよりも短い寿命だ。鉄筋建ての校舎であれば五十年くらいはもつだろうに。しかしながら私達が使っていた時は実に風格、歴史を感じたものである。階段の手スリは黒光し、踏み減らされた床は変色していた。実に掃除のし甲斐があった。手スリは磨けば磨くほど内から光を放ったし、床は乾くまでしっかりと水拭きの後が残っていた。 <br /><br />給食当番の時にケースごと牛乳を床に落としたら全部割れてしまい午後の授業の時に下の教室から「天井から牛乳がたれてくる！」という苦情があったりもした。 <br />教室以外は蛍光灯ではなく傘が付いた裸電球で薄暗くはあるが、暖かい独特な光の空間を作り出していた。そんな電灯は明るいはずもなく特に離れにあるトイレは暗く不気味であった。もちろんボットン式である、赤い手が出る！青い手が出る！とかトイレの怪談には事欠かなかった。こわくてトイレに行けずに漏らしてしまう子供も何人かいたものである。 <br /><br />子供の頃に町内会で毎年いった「川崎青少年の家」という施設があったのだが、ここも木造の建物で戦時中は兵舎に使われ、そのままの姿で使われていた。この建物もそうだが、戦前の兵舎というのは木造校舎に似ている。兵舎も校舎も「集団教育」といった同じような目的の建物であるから似通ってあたりまえなのかもしれないが。 <br /><br />兵舎にしろ木造校舎にしろ機能重視で装飾などは一切はぶいていたのだろうが、私の使った校舎は実に味があった、これは「木」だからこそ醸し出せる魅力なのだろうが・・・。 <br /><br />日本はもともと「木の文化」の国である。ヨーロッパは主に「石の文化」といえるかもしれない。「木」というものは古代ローマ遺跡のような「石」ほど姿を長く留めることはできないが、「建築物」となってもまだその生命を保っている。経年変化というものもあるし、柱になっても樹液を滴らせていることもある。そして使い手の使い方によってよくも育ち、悪くも育つ、これは木を使った道具などにもいえることである。要するに使う人の（分身）となり愛着を持つことができるのである。 <br />石の建築物は廃墟となってもなおその姿を留めているが、そこには寂寥感と凄惨さが今なお渦巻いているかのように思えるのは私だけだろうか・・・。 <br /><br /><br />木造校舎が夏休みに壊されるときいてみんなで釘やら木っ端やらを思い出に持ち帰った。鉄筋の校舎であったらおそらくこんな気持ちは起きなかったであろう。 <br /><br /><br />『人が樹を育て、木が人を育てる』 <br /><br /><br />樹を人が育てるというのは思い上がりなのかも知れないがそんな風に感じた。 <br /><br /><br /><br /><object width="540" height="437"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/KYDW1bIwIV4&hl=en&fs=1"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/KYDW1bIwIV4&hl=en&fs=1" type="application/x-shockwave-flash" allowfullscreen="true" width="540" height="437"></embed></object><br /> ]]>
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<dc:date>2009-01-14T11:46:59+09:00</dc:date>
<dc:creator>ろんさむ</dc:creator>
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<title>傍目八目</title>
<description> 『傍目八目』 理解しつつも、まったく観えていないのが自分自身なのかも知れない… この事が数多くの悲喜劇を生み出しているともいえる… 他人を観るときは 俺だったらこうするのに…お前馬鹿だなとか… 失敗するのが目に見えていてハラハラドキドキしたり… まるでお茶の間のテレビ画面を観るように眺めている… だけれど… 気がつくとそこには三面鏡が置いてあってテレビ画面に見入っている自分自身の姿が写し出されている… それが今ま
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<![CDATA[ 『傍目八目』 <br /><br /><br /><br />理解しつつも、まったく観えていないのが自分自身なのかも知れない… <br /><br /><br />この事が数多くの悲喜劇を生み出しているともいえる… <br /><br /><br /><br />他人を観るときは <br /><br />俺だったらこうするのに…お前馬鹿だなとか… <br /><br />失敗するのが目に見えていてハラハラドキドキしたり… <br /><br /><br /><br />まるでお茶の間のテレビ画面を観るように眺めている… <br /><br /><br /><br />だけれど… <br /><br />気がつくとそこには三面鏡が置いてあって<br /><br />テレビ画面に見入っている自分自身の姿が写し出されている… <br /><br />それが今まで見たこともない表情をしているので愕然としたりする… <br /><br /><br /><br /><br />傍目八目とはよく言ったもので <br /><br />傍目で観ていりゃ世の中,年がら年中ドタバタ喜劇みたいなもので<br /><br />これ程おもしろい見世物はない… <br /><br /><br /><br />If I Were You... <br /><br /><br />そんな御為倒しの言葉はいくらでも浮かんで来る… <br /><br />しょせん対岸の火事なのだから… <br /><br /><br /><br />でも世の中… <br /><br />そんな傍目八目,御為倒しの言葉で救われて<br /><br />かろうじて回っていることも確かだ…。<br /><br /><br /><br /><br /><object width="540" height="437"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/92HjH1GG3ro&hl=en&fs=1"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/92HjH1GG3ro&hl=en&fs=1" type="application/x-shockwave-flash" allowfullscreen="true" width="540" height="437"></embed></object><br /> ]]>
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<title>家屋今昔</title>
<description> あらためて自分の部屋を見回してみると実にせまい物だと思う。6畳の部屋なので物が置いてなければ充分な広さなのだろうが、あまり使わない机、本棚、そしてギター6本、CD、レコード無数・・・。寝るために布団をひくときは物を動かして場所を作らねばスペースがない状況である、おまけに私は182センチあるので足を完全に伸ばすことができない。小学生のときに友達の家に遊びにいくとやはりせまい家でその子は寝るときは机の下に上
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<![CDATA[ あらためて自分の部屋を見回してみると実にせまい物だと思う。6畳の部屋なので物が置いてなければ充分な広さなのだろうが、あまり使わない机、本棚、そしてギター6本、CD、レコード無数・・・。寝るために布団をひくときは物を動かして場所を作らねばスペースがない状況である、おまけに私は182センチあるので足を完全に伸ばすことができない。小学生のときに友達の家に遊びにいくとやはりせまい家でその子は寝るときは机の下に上半身を入れて寝ていた、それを友人とおもしろいなあと笑っていたのだが今の自分もさしてこれと変わりない。 <br /><br />日本人の家が「うさぎ小屋」といわれるようになってすでに久しいが確かにこのせまさには哀しいものがある。家が買えれば幸福な方で一生かかってもまともな家が買えない人がほとんどではないだろうか。川崎には「民家園」というものがありそこには日本中から古い家屋が集められていて観ることができる。まさに木と紙でできた家である。障子を隔ててすぐに外、冬の寒さをどう凌いでいたのか不思議でしょうがない。しかしながら障子、廊下、土間と外に接する場所が多いので家の空間が外の世界を取り込み無限大に広がっているかのように思える。庭園でいう「借景」に近いものかもしれない。現代の都市のこれだけ住宅が密集した状況では「借景」も糞もあったものではない。窓を開け放ったとしても隣の家の壁、もしくは洗濯物を干す隣人と鉢合わせになり気まずい思いをしたりする。そんな状況で暮らしていると民家園にある家が実にうらやましくなってしまうのである。 <br /><br />さきの戦争の時アメリカ軍は日本の家屋を「竹と紙でできた家」と呼び焼夷弾を中心にして爆撃を行った。瓦礫どころか完全に焼失してしまった家屋の方が多いように思われる。（空襲以前に建物疎開で壊された家もたくさんあったのだろうが・・・）戦時、終戦時の映像を見ると東京はまさに「焼け野原」といった風情で広大な視界が広がっている。それに比べるとベルリンはまさに「瓦礫の山」である、倒壊、半壊した建物が無残な姿を晒している。これも西洋の「石」の文化と東洋の「木」の文化の違いなのだろうが、ローマ遺跡がその姿を今だにとどめているように石の建築物が残るのは容易であるが木造建築が残るということは実にむづかしい。いつの時代でも焼失の危険はついてまわる。その点法隆寺が現存しているということはまさに奇跡であろう。 <br /><br />話は私の6畳間から古代ローマまで飛んで行ってしまった、ここが活字文化の愉快なところであるが、はたしてどう収拾をつけようか（笑） <br /><br />時代時代によって生活の中に占める「家屋」の意味合いが少しずつ変わって来たように思える。昔は家屋という物は寒さ、敵、獣から身を守るいわば「砦」であった。その良し悪しによっては命が左右されてしまう場所であったのではないだろうか・・・。生きるためにまず最初に固めなければいけない物であった。 <br />　 <br />そして現在の家屋は「安らぐ場所」とでもいえようか。まず寝ることができればいいのである。そこから先はオプション＝贅沢？・・・。アパート、ワン・ルーム・マンション、ウイークリー・マンション、選択肢はかなりある。しかし一戸建ての家を建てるのは「夢」の領域に入りつつあるので家よりも車を第一に考える人もいるだろうし、その他の遊びに比重をおく人もいるだろう。これは諦めなのか、それとも長年の「家」からの束縛から解放されつつあるということなのだろうか・・・。 <br /><br />それにしてもかつて「まず家を構える！」と言うくらい生きる上で第一の基本的必須条件であった「家屋」が、いきなり「夢」になってしまうなんて実に複雑怪奇である。はたしてこの状況はこの先どう変わっていくのだろうか。 <br /><br /><br /><br /><object width="540" height="437"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/Ua_ODg0FmzQ&hl=en&fs=1"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/Ua_ODg0FmzQ&hl=en&fs=1" type="application/x-shockwave-flash" allowfullscreen="true" width="540" height="437"></embed></object><br /> ]]>
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<dc:creator>ろんさむ</dc:creator>
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<title>白州次郎、正子夫妻展を観て</title>
<description> 昨日は横浜そごう美術館で白州次郎、正子夫妻の展示を観て来た。白州次郎氏に関してはここ数年間（ブーム）のようで彼に関する多くの書籍が出版されている。白州正子氏に関しては十年以上前になるだろうか、角川が昔の廃刊になったような文学作品を斬新的なデザインの装丁で発刊するという企画があったがそのシリーズで（西行）について彼女が書いた作品を読んだのが始めての出逢いであったと記憶している。 当時はイギリス紳士然
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<![CDATA[ 昨日は横浜そごう美術館で白州次郎、正子夫妻の展示を観て来た。白州次郎氏に関してはここ数年間（ブーム）のようで彼に関する多くの書籍が出版されている。白州正子氏に関しては十年以上前になるだろうか、角川が昔の廃刊になったような文学作品を斬新的なデザインの装丁で発刊するという企画があったがそのシリーズで（西行）について彼女が書いた作品を読んだのが始めての出逢いであったと記憶している。 <br />当時はイギリス紳士然とした次郎氏（彼については終戦史、戦後史に興味を持っていたので正子氏よりずっと以前に知っていた）と日本の原点回帰的な正子氏の組合せがとても不思議でならなかったのであるが、今回の展示はそういった深い部分を理解させてくれるだけのものがあった。 <br /><br />次郎氏に関してはよい意味で（育ちのよさ）が功をなしていたのかなといった感を覚える。あの時代の（育ちのよさ）という言葉は今の時代に使われている（育ちのよさ）とはかなりニュアンスが違い赴きを異にしている。（つよさ＝勁さ）を持ち合わせた（貴公子）といったような（誇り高き）（育ちのよさ）とでもいうのだろうか。 <br /><br />彼は若い頃イギリスに留学し暮らしイギリス紳士然としていたし、そのように生きようと努めていたのかも知れない。実際彼の行動、生き様、生き方を観てみると当時の日本人離れした西洋的プラグマティズムさえ感じさせられる。 <br /><br /><br />しかしながら彼がイギリス紳士然と生きようとすればする程に（日本人的）になって行く・・・そんな印象を受けた。当時の日本人にはいくら異文化の薫陶を受けたり、もしくは装ったり、演じたり、隠したりしても（もちろん次郎氏はそんなことはしていないが・・・）下地にある（日本人）というものは不動のもので消えたり、消せたりするようなものではなかった。最初期に（西洋）というものにぶち当たった内村鑑三、新渡戸稲造、鈴木大拙、さらには福沢諭吉でさえあってもそれは変わらなかった・・・。 <br /><br />彼らを（古き良き日本人）の一言で片付けてしまうのも少し寂しいような気がするが・・・。 <br />現代日本人の外側の皮、上っ面を引き剥がしてみて何が残るかということは極めて興味深い課題である。 <br /><br /><br /><br />この展示を観てはたして（日本）とは（日本人）とはいったい何なのだろうかと考えることもおもしろいかも知れない。歴史、世界の中で・・・そして最後にはイデオロギー、歴史、といった後から外付けされたすべてを取り除いて（風土）と（日本人）という視点から（日本人）とは何であるのか観たい・・・はたして今もその（日本人）という奴が存在しているのかどうかということも・・・。<br /><br /><br /><br /><br /><object width="540" height="437"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/RZfxH5fyqAY&hl=en&fs=1"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/RZfxH5fyqAY&hl=en&fs=1" type="application/x-shockwave-flash" allowfullscreen="true" width="540" height="437"></embed></object><br /> ]]>
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<dc:date>2009-01-12T12:51:53+09:00</dc:date>
<dc:creator>ろんさむ</dc:creator>
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<title>くせ</title>
<description> 「くせ」は誰にでもあるものだろうが、はたして自分のくせは何か？と考えてみるとなかなか思い浮かんでこないものである。「意識しないうちにしてしまう」のが「くせ」なのだから。 自分自身ではなかなか思い浮かばない「くせ」だが、この「くせ」という奴は周りの人に実に強い印象を残す。自分のことは棚に上げて他人の「くせ」を挙げつらったり茶化したり・・・。しかしながらその人がいなくなってまず想い出すのは、この「くせ
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<![CDATA[ 「くせ」は誰にでもあるものだろうが、はたして自分のくせは何か？と考えてみるとなかなか思い浮かんでこないものである。「意識しないうちにしてしまう」のが「くせ」なのだから。 <br /><br />自分自身ではなかなか思い浮かばない「くせ」だが、この「くせ」という奴は周りの人に実に強い印象を残す。自分のことは棚に上げて他人の「くせ」を挙げつらったり茶化したり・・・。しかしながらその人がいなくなってまず想い出すのは、この「くせ」という奴なのである。それを想いだすたびにその人の「不在」が周りの人の胸に強くのしかかってくるのである。 <br /><br />これを「くせ」と言ってしまって良いのかわからないが、日常生活で誰もが持っている「決まり」がある。例えば、風呂で体を洗う順序とか、歯磨きをするときにどの歯から始めるとか、寝るときはどちら向きで寝るとか、食事のときに好きなものから食べるか、好きなものは残しておくかとか、ズボンを履くときにどちらの足から入れるとか・・・etc。 <br />どうでも良さそうな事に思えるのだが、これをやらないとどうも気分が悪く、その気分を一日引きずってしまったりもする。 <br /><br />人間とはおもしろいものである。大事な仕事に関することでも忘れてしまうのにどうでもよさそうな「くせ」については忘れることがない。まあ忘れるどころか「無意識」のうちにやってしまうのだから忘れるはずはないか・・・。 <br /><br />このような日常生活の中の「くせ」を始めたきっかけは何だったか考えてみると案外幼児の頃に親や周りの人から教わった日常の動作が端緒となっていることが多かったりする。教えてくれた人はやがて去って行くのだろうけど、このような形で何かを残される人の中に置いていくものなのかも知れない。先祖数代をたどっていって脈々と「くせ」が受け継がれていることもあるかもしれない。 <br /><br />はたして私の「くせ」は何なのかな？ <br /><br /><br /><br /><br /><object width="540" height="437"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/V0VeXdEa5GI&hl=en&fs=1"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/V0VeXdEa5GI&hl=en&fs=1" type="application/x-shockwave-flash" allowfullscreen="true" width="540" height="437"></embed></object><br /> ]]>
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<dc:date>2009-01-10T12:01:45+09:00</dc:date>
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<title>『ダスティン・ホフマン』にもなれなかったよ</title>
<description> 昨日「オフコース」の話題が出たので今日もその続きである。昨日は極めて情緒的な部分から「オフコース」について書いたが、今日は冷静に、そして少しクールに分析してみたい。「オフコース」、「ユーミン」あたりの音楽を聴いて受ける印象はまず映像的だなと感じることである。例えば彼らの曲を流しながらその曲のイメージのスライド写真でも写し出せばかなりしっくり来ると思える。彼らの曲に出て来る人物は極めて希薄であり、日
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<![CDATA[ 昨日「オフコース」の話題が出たので今日もその続きである。昨日は極めて情緒的な部分から「オフコース」について書いたが、今日は冷静に、そして少しクールに分析してみたい。<br />「オフコース」、「ユーミン」あたりの音楽を聴いて受ける印象はまず映像的だなと感じることである。例えば彼らの曲を流しながらその曲のイメージのスライド写真でも写し出せばかなりしっくり来ると思える。彼らの曲に出て来る人物は極めて希薄であり、日本人的な「湿っぽさ」のようなものはすべて排除されている、いうなれば淡い色彩のお洒落な『絵』とでもいおうか。聴く者は自分もその『絵』の中に入り込もうとその『絵』を追いかける（例えばカップルで海に出かけるときにサザンのバラードをかけるように・・・。）しかしながらいくら追いかけてもその『絵』に追いついて中に入り込むことはできない、なぜならその『絵』の中の人物達は血も流れていない、屁もこかないマネキンや張子の人形に過ぎない。人物のみならずその『絵』自体作者の心の中ではなく、心はおろか体の外に作られた幻影に過ぎないように思える、曲から作者の体臭、魂を感じることができないのである。それゆえに視覚的なイメージは刺激されるが魂を揺さぶられることはまずない。<br /><br />しかしながらそれをネガティブな物ととるか、ポジティブな物ととるかは聴く者の自由である。曲中に作者の体臭、魂、その他の人間臭さが含まれていない分、聴く者は自由に『絵』をイメージすることができる。いうなれば観光地によく置いてある、自分の顔を空いてある穴から出して記念撮影をするベニア板でできた動物や人形のセットのようなものである。曲中の人物に癖がなく人間味がなく、希薄でぼやけている分容易に自分の顔を穴から差し出して『絵』に入り込んだような気分にひたることができるわけである、気分にひたることはできてもけして動物や人形になれるわけではないが。語弊があるかもしれないが『道具』的な音楽の効用ともいえるかもしれない。<br /><br />私個人としては今まで突けば血が噴出し、触れば殴りかかって来て、たまに屁をこかれるような音楽ばかりを聴いてきたので逆にこのような音楽を聴くと新鮮である。<br /><br />いずれにしても私自身についていえば血は流れていても殴りかかりはしなかったし、屁もこけなかった・・・。<br /><br /><br />そして『ダスティン・ホフマン』にも勿論なれなかった・・・・。<br /><br /><br /><br /><object width="540" height="437"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/pi-LGr_k-Ag&hl=en&fs=1"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/pi-LGr_k-Ag&hl=en&fs=1" type="application/x-shockwave-flash" allowfullscreen="true" width="540" height="437"></embed></object><br /> ]]>
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<title>切ないといふ事</title>
<description> 正月休みに読書をしながらいろいろな音楽を聴いていた。その中に「オフコース」があった。私の世代や、もう少し上の世代の人には「オフコース」というグループには何かしらの思い入れがあるのではないだろうか。私は「オフコース」を背伸びしながら聴き始めたものだった。私が小学生の頃に姉が受験勉強をしながら聴いていたのが「オフコース」であった、それが自然に私の耳の中にも入ってきた。彼らの曲の中でよく使われる『僕』と
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<![CDATA[ 正月休みに読書をしながらいろいろな音楽を聴いていた。その中に「オフコース」があった。私の世代や、もう少し上の世代の人には「オフコース」というグループには何かしらの思い入れがあるのではないだろうか。<br />私は「オフコース」を背伸びしながら聴き始めたものだった。私が小学生の頃に姉が受験勉強をしながら聴いていたのが「オフコース」であった、それが自然に私の耳の中にも入ってきた。彼らの曲の中でよく使われる『僕』とか、『あなた』という言葉が妙にソフトで優しく、大人に聞こえたものだった。自分もあと10年もすれば『僕』とか、『あなた』とかいう言葉を使って恋愛をするのかなと思うと心はワクワクして、クラスの好きな女の子の顔が浮かんだりして、ともかく一刻も早く大人になりたいと思ったものだ。<br />やがて中学生になるとクラスメートの男女を問わず多くの人がこのグループを聴いていた。カラオケなどまだ存在しない時代だったので修学旅行のバスではマイクを廻しアカペラで歌を歌ったものだったが「永ちゃん」と「オフコース」を歌う人が一番多かったようである。<br />中学、高校時代に経験した多くの片想い、失恋の中でも聴き続けた彼らの曲であったが、この時耳に残った歌の中の言葉は『切ない』という言葉であった。片想い、失恋という恋愛の問題は子供を襲う最初の残酷で容赦の無い「大人の問題」である、こればかりは親だろうが先生だろうが、友達だろうが助けてあげることはできない、最終的には恋愛の対象よりも自分自身と向き合い、怯えつつ、自らにナイフを突き立てるような覚悟で闘わなければならない問題である。そのような問題にコテンパンにたたかれ、ヘトヘトになりつつ「切ない」という感情を知ったものだった。<br /><br />30歳を越えた今聴いた『オフコース』はすでに過去の物であった、懐古の対象になってしまったようである。そして『切ない』という気持ちも何だか過去に置いてきてしまったような感じである。「歌」の中の「お話」で、自分は高見の見物をしている、そんな気分である。音楽に限らず、最近の私は映画、テレビドラマ、そして近しい人の話・・・それらに感情移入して自分が傷つくことのない安全な場所で間接的に『切なさ』を味わい、それを愉しみ、酔っているようにも思える、まるでゲーテの「ファウスト」や、三島の「禁色」のようである。<br /><br />　自分を傷つけることもなく（傷つくことを畏れてではないところがまた口惜しい）、『切なさ』を忘れてしまった自分が悲しくてやりきれないのである・・・。<br /><br /><br /><br /><br /><object width="540" height="437"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/NlzSBn2If70&hl=en&fs=1"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/NlzSBn2If70&hl=en&fs=1" type="application/x-shockwave-flash" allowfullscreen="true" width="540" height="437"></embed></object><br /> ]]>
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<title>小さな駅の小さな町</title>
<description> けして家から近くないのだが私の最寄駅は川崎駅になる。JR線は東海道線、京浜東北線、南武線が停まる。少し離れた場所には京浜急行の駅がある。両川崎駅の駅前はそれなりに開けている。デパートもあれば専門店の集まったビルもある。民家は駅から少し離れた場所から建ちはじめているわけである。　私は京浜急行で横浜方面に出かけることが多い。時間に余裕のあるときにはあえて鈍行を利用することにしている。正確にはわからないが
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<![CDATA[ けして家から近くないのだが私の最寄駅は川崎駅になる。JR線は東海道線、京浜東北線、南武線が停まる。少し離れた場所には京浜急行の駅がある。両川崎駅の駅前はそれなりに開けている。デパートもあれば専門店の集まったビルもある。民家は駅から少し離れた場所から建ちはじめているわけである。<br />　<br />私は京浜急行で横浜方面に出かけることが多い。時間に余裕のあるときにはあえて鈍行を利用することにしている。正確にはわからないが川崎から横浜まで快速特急なら8分程度で着いてしまう。それに比べて鈍行は20分近くかかるのではないだろうか。小さい駅が結構たくさんあるからだ。のんびりとした気持ちでよく車窓から小さな駅の駅前を眺めてみると駅のすぐそばからいきなり商店街が始まっていたり、民家が建っていたり・・・ともかく生活臭がプンプンしてくる。ああ、ここには人が住んで、暮らして、生きているんだなあ・・・そんな当たり前のことに感激してしまった。<br />大きな駅の駅前というのは確かに人はたくさんいるのだが、そこにいる人達はその場所に留まらない・・・常に動いているのだ。目的地に向かう人、買い物をしている人、家路につく人、みんな通りすがりの人達である。<br />　<br /><br />これは寒さゆえの人恋しさであろうか？小さな駅のそばに住むのも良いかなと思ったりする。かといって今すぐ引っ越すつもりはないが、一度は小さな駅で途中下車してみたいと思う。小さな商店街を歩き、喫茶店、居酒屋、焼き鳥屋、赤ちょうちんに入るのもいいだろう。気に入った店に出会えたら常連になるのもいい、にわかにそんな土地に溶け込むというのもいいだろう。 <br /><br /><br />小さな駅から広がる小さな町・・・（町）とは住んでいる人が作りあげ、住んでいる人の（分身）そのものなんだよ・・・そんな当たり前のことを改めて教えてくれる。<br /><br /><object width="540" height="437"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/DKOc2S1AkjE&hl=en&fs=1"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/DKOc2S1AkjE&hl=en&fs=1" type="application/x-shockwave-flash" allowfullscreen="true" width="540" height="437"></embed></object><br /> ]]>
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